幼児期の「叱る」がもたらすもの
子どもが言う事を聞かず泣いたり騒いだり走り回ったりするばかりの時、親は「本当に叱らなくていいのか?」と不安になったり悩んだりしがちです。
ここで、その悩みに陥ったあるお母さんの経験をご紹介します。そのお母さんは、長男が4歳を過ぎた頃から「もっと努力して欲しい」とか「もっと我慢して欲しい」と思うようなことがたくさん出てきて、さらに「男の子なのだからたくましく育てたい、厳しく躾けたい」という気持ちもあり、幼稚園年中時代の1年間に意識的に「叱る育児」を実践してみたそうです。
もちろん何でもガミガミ叱るわけではなく、叱ることも必要だと感じた時に叱る理由をきちんと説明しながら叱り、優しく言ってもわからない時には語調を強くしたり、体罰というスタイルも、お尻を叩く程度に試してみたそうです。
「叱る」育児は良い変化を生まない
しかし、1年間「叱る育児」を継続してみた結果、次のような変化が息子さんに現れ、「幼児期にはまだ厳しく叱る育児を行うべきではなかった」と大変後悔したそうです。
その変化とは、それまで自然に身についていた基本的な生活習慣に乱れが生じ、
・朝は6時を過ぎたら自然に自分から起きてきていたのが、声をかけなければ何時までも起きてこないようになった。
・うがい、手洗い、歯磨きなども面倒くさがるようになった。
・おはようございます、いただきますなどの挨拶も自発的に言う回数が減った。
・大好きだったお稽古事なども練習を嫌がることが多くなった。
などです。そして、これはやはりよくないと判断し、5歳からは再び「叱らない育児」に戻したところ、4歳までの生活習慣や学習習慣の貯金もあったので、その後は特別な問題もなく穏やかな日々が続きましたが、「息子は本当はもう少しいろいろ努力やチャレンジができるのではないか?」「何か手応えが、今一つ物足りないのはどうしてなのだろう?」という印象を拭えずにいたそうです。
「叱る」ことでネガティブな気持ちのみが残ってしまう
そして、その理由はそれからさらに1年以上経ち、息子さんが小学校2年生になってから分かりました。息子さんが両親の愛情を強く再認識する出来事が起こり、その時に「お父さんお母さんは、僕よりも妹の方が可愛いんだとずっと思いこんでいた。誤解していてごめんなさい」と言ったそうです。ご両親としては、息子さんの育児や教育に重点的に力を注いでしまい、下の子のほうが放っておかれている、と常々感じていたので、当の本人が親の愛情を疑ってしまっていたとは夢にも思わず、本当に驚いたそうです。
その後、時間をかけてゆっくり話を聞くと、やはり4歳の時に厳しく叱ったりお尻を叩いたりしたことが積み重なって原因になっていたようです。
息子さんは、当時どんなことについてどうして叱られたのかはまったく覚えていないのに、叱られたり叩かれたりした時の嫌な気持ちのみが強い記憶となって残り続けていたのです。
しかも事実より増幅されており、お尻を叩いてみたのは教育効果を試すために5回程度だったのが、息子さんの中では「言う事を聞かないと叩かれる」という認識にすり替わっていて、叱られるたびに叩かれたような記憶になってしまっていたそうです。わずか1年間の「叱る育児」がもたらした害は、その後2年かけても回復しきれていなかったのです。
子どもは大好きな相手を喜ばせる行動を好む
実は、3歳から8歳くらいの子どもは大好きな相手を喜ばせる行動をすることを好みます。少し努力を必要とするような壁にぶつかった時も、大好きなお母さんや先生を喜ばせようという気持ちが大きいほど、努力のエネルギーが継続するものです。こちらの息子さんも5、6歳の頃、十分頑張っていたのだとは思いますが、それでもお母さんが何か違和感を覚えていたのは、息子さんの中に「どうせ僕なんか」というような気持ちが芽生えてしまっており、そのネガティブな気持ちが全力で挑戦しようとしない態度になり、あと一歩の努力を阻んでいたのです。
その後、そのお母さんは娘さんの時には「叱らない育児」を徹底したそうで、3歳以降はどうしても必要だと感じた時に1年間にほんの数回程度叱ったそうですが、そしたら6歳を過ぎてからは身の回りのことも家の手伝いも学習もすべて自発的に行ってくれ、叱る必要もなくなり、育児が非常に楽になったそうです。
「深い愛情があるからこそ厳しく叱る」といった人間の高度な行動を、子どもが正しく理解できるのは少なくとも小学生になってからです。ましてや2歳、3歳では早すぎることは間違いありません。
叱って躾けたことは身につかない
子どもは何かを強制されることが大嫌いです。子どもに限らず、強制に対して反発するのは人の本能的で自然な感情や行動だといえるでしょう。叱られ強制されればその場はいう事をきき、強制者である親や先生の目があるところでは言われた通りに行動しますが、それと同時に子どもの心の中には「強制に対する反発」も育っていき、強制されたことがどんなことであれ、その事柄に反発するようになるのです。
「できるけれどやりたくないこと」が増えてしまう
歯磨きを強制されればなんとなく歯磨きが嫌いになり、姿勢の良さを強制されれば背筋を伸ばすことを嫌いになります。ニンジンを食べなさいと言われればニンジンが嫌いになります。一度嫌いにさせてしまうと、その事柄は子どもの中で「できるけれどやりたくないこと」というジャンルに分類されてしまうので、「幼稚園の頃まではできたのに、小学校に入ったらなぜかできなくなった」という結果に繋がりやすいのです。
1~2歳の頃は親にとっても子どもにとっても、お子さんの「おこなうこと」と「できること」、つまり英語の「Do」と「Can」の内容は実質的にはほぼ同じでした。ですからお母さんの心の中には「これはできるのかな?まだできないのかな?早くできるようになるといいな」という考え方が自然に生じます。
しかし3歳以降は変わってきます。できることはどんどん増えてきますが、同時に「できるけれどやらないこと」も増えてくるのです。もし、2歳代の頃に「できるようになること」ばかりを重視してしまうと、できるようになる時期は早まっても、同時にお子さんの心に「やりたくない」という強い思いを育ててしまい、結果として3歳以降に「できるけれどやりたくない」ことを増やしてしまうのです。
「できることが嬉しい!」と子どもが感じられるように促す
ですからお子さんに何かの能力を育てる時には、「できる」と同時に「できることが嬉しい・誇らしい・もっとやりたい!」という強い気持ちも同時に育てることが大変重要なのです。叱ることはこの「嬉しい・誇らしい」という気持ちを潰してしまいます。
禁止事項についても同じです。「我慢することができる自分が誇らしい・大人に近づいたようで嬉しい」という意識づけをします。例えば「走っちゃダメ!」「触っちゃダメ」と叱るのではなく「『走らない』ができる」「『触らない』ができる」と言い換えます。
子どもに「触ることを抑制された」と感じさせるのではなく、「自分は『触らない』という行動を選択できた」と感じさせます。
表面的な結果は同じに見えますが、お子さんの心の中で「したいことを禁止された・抑制された」と感じるか、「自分は『触らない』という立派なことができた」と感じるかは天と地ほども違うものです。
叱らないで躾けることは、叱って躾けることよりもはるかに難しい
叱らないで躾けることは、叱って躾けることよりもはるかにコツと工夫と忍耐を必要としますが、それでも叱るべきではありません。
とはいえ、お子さんのイタズラぶりに耐えかねて、つい叱ってしまった、などというのは気にする必要はありません。そういった単発の出来事はお子さんもすぐに忘れてしまいますし、それほど影響はないものです。
今回の内容は、お母さまが「躾のためにはもっと叱るべきだろうか」と悩み、叱る育児を選択したような場合が該当します。「躾の為には叱らなくちゃ」と考えると、2歳児を相手にした場合、大体1日少なくとも5~10回は叱ることになるでしょう。そうすると1年間で2000~3000回以上も叱ることになるのです。お子さんへの悪影響を配慮するならば、叱る回数は1年間で50回以下を目指したいものです。よって、1週間に1回くらいなら、つい叱ってしまってもさほど悪影響は与えません。
叱るかわりにすべきこと
「叱らない育児」では、ただ叱らないだけではなく、叱るかわりにすべき重要な事柄があります。その基本は次のようなものになります。
・習慣付けは「やらせよう」とするのではなく「子ども自らやりたい」と思うように「誘導する」
・うまく誘導できないうちは、ただ「手本・見本を見せるだけでよい」
・地道な習慣付けを根気よく行い続ける
・悪習慣を徹底的に取り除く
・強制は逆効果。できるようにさせることを急いではいけない。望ましい習慣を自主的・自発的におこなう子どもに育てなければ意味がない
・完全に身に付く前には、「嫌いにさせないこと」を何より重視する
以上のことを、ぜひ心掛けて実践してみましょう。
【まとめ】幼児期の子どもは「叱る」ことの意味をまだ正しく理解できない
いかがでしたでしょうか?
幼児期の子どもは、「深い愛情があるからこそ厳しく叱る」といった人間の高度な行動をまだ理解できないものです。そのため、なるべく叱らずに、望ましい習慣を自主的・自発的におこなえるように毎日根気よく促す事が重要です。
子どもがいう事を聞かない時、ついイライラしてしまいがちですが、なるべく幼児期の性質を理解してあげて落ち着いた対処ができるようになると嬉しいですね。
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