子どもはなぜ「わがまま」なのか
まず、なぜ大人の視点から見ると子どもは「わがまま」だと感じるのかについて一度掘り下げてみましょう。
そもそも子どもにとっての「わがまま」とは何かしらの悪意や他意のあるものでなく、素直で正直な気持ちをそのまま行動に移したものです。子どもにとっては「あれが欲しい」からそう伝えるし、「まだ遊びたい」からそのように伝えるのはいたって合理的な事です。
この「わがまま」と受け取られがちな、本能からくる行動を理性的な行動に変えていくには、「目先の欲求を上回る未来の利益を予測して感情を納得させること」が必要になります。
しかし、高度な未来予測をするためには、自分の正直な気持ちを認識し言葉で適切に表現できることが不可欠で、この部分が子どもにはまだ難しいのです。
なぜ「わがまま」は問題なのか?
では、なぜ子どもの「わがまま」がしばしば問題行動として扱われてしまうのでしょうか?
それは、幼い子どもにとっての「利益」とは「自分にとっての利益」に他ならないからといえます。子どもは他人の利益・不利益を考慮せず自分のことしか考えないので、「わがままは迷惑」という社会通念からすると、子どものわがままは問題行動となってしまうのです。
しかし、子どもにとっての「わがまま」はいわば本能であり、問題行動などではなく当然の反応であるということを親御さんは理解しておくことが大切です。
子どもの理性的な行動の始まりは「利己」からでよい
子どもは体験を伴わない知識だけでは適切な判断ができない
これまでお話ししてきましたように、子どもは「自分」の視点でしか物事を認識できないものです。また、「自分の感情の動きをともなった経験」がないことでは、適切な利益・不利益の判定がまだできません。つまり、体験をともなわない知識だけでは適切な判断ができないのです。
子どもは納得できないまま強制されたことを嫌いになる
また、子どもは納得のいかないままに強制されたことは嫌いになりやすいものです。
「世のため・人のために尽くすことが良いこと」
「自分の利益ばかりを考えるのはわがままで悪いこと」
のように、まだ実感を伴わないような善悪の基準を強制することは避けましょう。
子どもに、そのような考え方があること自体はもちろん伝えてよいのですが、強制することはNGです。また、伝える際もただ単純に「自分のことばかり主張するだけなのはダメ」と言うのではなく、実体験や物語などの仮想体験を通して、なるべく「実感」を得られる形で伝えていくことが大切です。
「狼少年」や「赤ずきんちゃん」などの昔話も、教訓を物語を通じて実感を得られる形で伝えているからこそ、長年語り継がれているのかもしれませんね。
困った時の処方箋:ケース別子どものわがままへの対応
ここまで、子どもがわがままであるのは致し方のないこと、より理性的な判断をするためには実体験をともなった形で物事の良しあしを伝えないと理解されないことをお伝えしてきました。
このような子どもの特性を理解したうえで、実際に「わがまま」と感じられるようなシーンに遭遇した場合に親のとるべき対処法についてご説明いたします。
1.「あれが欲しい」「あれ買って」「友だちのものを取る」「スーパーで大泣きする」
対処法は以下のとおりです。
- 「手に入る」と思うから欲しがるのであって、「手に入らない」という事実を体験させる。
- まず「○○が欲しいのね」と「心」を「言葉で表現」して子どもの気持ちを受け入れる。
- いつか買い与えてやれるものであれば「○○になったらあげるね」と未来の約束をする。
- それでもおさまらない場合は「今は無理」「ママにも無理、ごめんね」と伝える。
- さらに諦めないようならば「ママにもできないことをあまり言われるとママは悲しい気持ちになるよ」などと語りかけてさっさとその場を離れる。
- 子どもが「泣く・わめく・叩く・ぐずる」という問題行動をおこなっている時には、絶対に「根負けして買ってあげる」ということだけはしてはいけない。「親を困らせれば買ってもらえる」という事実結果を学習させてはならない。買ってあげるのは別の機会によい行動をしている時にする。
2.「まだ遊びたい」
- 「もっと遊びたいのね」と気持ちを受け入れて言葉にする。
- 「でも今は無理なの。ごめんね」と語り聞かせる。
3.「やるべきことをやらない」
- 「できること」と「身についていること」は違う。
- 身についていることはいつでも容易にできるが、「ようやく少しできるようになったこと」をおこなうのはまだまだ苦痛。
- 「やって当たり前・できて当たり前」とは考えずに、その日の様子でハードルを下げる。
- 身支度に関することをやりたがらない日にはお母さんが強制的におこなってしまう。
- 最初のうちはなるべくお母さんの分担パートを大きくし、子どもが少しの努力でできることだけを毎回必ずやるようにして習慣化しつつ、少しずつ子どもの分担パートを増やしていく。
- 保育園や教室では片付けられる量のおもちゃでも、それは友だちや先生から褒められるという報酬があればこそできるもの。自宅で一人で片付けるにはその量はハードルが高い。お母さんがある程度片付け、子どもにとって「苦痛を感じ過ぎない分量」だけおこなわせる。
4.「室内で全力ダッシュする・飛び跳ねる」
- これは「本能行動」であり、大脳皮質の発達を待たない限りどれだけ叱っても効果はない。
- 「走る」→「怒られる」という条件反射を刷りこんでおこなわないようにさせることは可能だが、「大人の顔色をうかがい自分の意志を持とうとしない」「本能欲求を抑制する癖がつき、何事にも消極的になる」などマイナスの習慣をつけてしまいがち。
- 「走る場所」「跳ぶ場所」「歩く場所」「座る場所」というように少しずつ場所と行動を関連付けていけるよう、日常の中でくり返し意識させていく。
- やってしまった時は「無意識」の行動なので叱るのではなく、本人の意識を「そこは何をする場所か」という考えに引き戻し、飛び跳ねる喜びのかわりになる嬉しいことや楽しいことを与えてあげる。
- 大脳皮質の発達がすすめば本能行動はいずれ自制できる。知能発達を促進する機会を与えることが結局は改善の近道になる。
まとめ:子どもがわがままなのは仕方ないこと。実感を持てるように伝えていこう
「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」という言葉をご存じでしょうか?自分の心のおもむくままに行動しても人の道を逸れなくなったのは70歳、という意味です。
人のことを考えた行動が自分自身にとってもいかに素晴らしいことであり、自分のためにもなっているという深い実感に到達できれば、「利己」と「利他」が等しくなります。建て前と本音が一致して、大脳辺縁系と大脳皮質の間に矛盾がなくなるのでどれだけわがままにふるまおうとも問題がなくなります。
利己的であること、わがままであることは悪でもなく否定すべきものでもありません。利己と利他、わがままと人のために尽くすことは対立関係にあるのではなく、いつか一致していくものです。わが子にそのように育って欲しい、または自分自身がそのような70代を目指すためには、「わが子の教育」を考えることが一番早いのかもしれません。
最初は子どもはわがままであることが当たり前です。わがままを否定して無理に協調を強いるよりも、理性的な行動がいかに自分や周りの人にとって利益のあるものかを、子どもに実感できるような形で伝えていくことが大切です。一歩ずつ親子で進んでいけるようにしましょう。
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